2017年11月8日水曜日

峠に雪が降ったり、羊蹄が冠雪したり、月浦も氷点下になったり…。
今年も冬の到来を感じる季節となり、庭の手仕舞いを始めました。


ゴーシュの庭はカフェで使うハーブやベリー類、
私が食べる野菜や料理に使うハーブ、香りが好きだから育てているハーブ、
などが雑草と一緒に生息しています。

その年その年の気候的条件に加え、どの時期にどれくらい手が入れられたか、
そして、植えられた場所とその植物の相性などの様々な要素が絡んで、
目に見える部分でのその年の収穫物の量や質に影響を与えます。

たくさん収穫できたらもちろん嬉しいのですが、
イマイチ振るわなかったものにはそれぞれの理由があるわけで、
その理由を含めてそれが今年の収穫なんだなと思います。


ハーブの種採りをしたり、畝に雑草のマルチをかけたりしながら
庭に住まう植物たちひとつひとつに挨拶するように庭をゆっくり歩くと、
ひと夏の庭のそれぞれの物語が聞こえてくるようです。

雪解けのタイミング、その後の春の暖かくなる感じ、虫の発生の仕方、
雨の量、雑草の種類と量、夏の暑さの感じ、残暑、秋の気温の下がり方、
台風の影響、などなどをそれぞれがどう味わってきたか。

収穫したものの質と量の良し悪しではなく、今年のこの庭の出来事を
まるまる収穫させてもらっているような気持ちになり、
そしてそれに重ねるように自分自身の春から秋までの間の出来事も
つらつらと思い出されてきます。


今年収穫した庭と私の物語を冬の間にゆっくり味わって、
次の春に向けての新しく蒔く種の準備をしたいと思います。


深まる秋、すぐそこに来ている冬、季節の移り変わりを感じながら
そんなことを思いました。






2017年10月4日水曜日

無題

夜、眠る前のひと時必ず小説を読む。

学生の頃は同じ作家の小説を何冊も続けて読むことができたけれど、
今は1冊読んだらお腹いっぱい。
それが好きな作家だとしてもしばらくは違うテイストの小説を
あれこれ読んでぐるっと戻ってきて2冊目を手に取る。

自分の中にいくつも大きさや形の違うコップがあって
空になりそうになると激しい空腹感というか欠乏感というか
とにかく強く必要性を感じてコップを満たそうとする。

そのコップは1作家1コップではなく、勝手に私がジャンル分けしている。
多分誰とも共有できないであろう私だけの基準によって、
大胆にカテゴライズしてる。

初めて読んでみる作家の作品を手に取るときは
いろいろなリスクを考えて、現時点で読めるコンディションにあるかを
判断してから読み始める。

最近新しい出会いに対してかなり臆病。

小説は数日かけて読むことが多いので、読んでいるその数日間は
少なからずその小説の感じをどこかにまとってしまう。



朝起きて、朝の支度をしながらBGMをかける。
すぐに聴きたいCDを思いつくこともあれば、
CDの棚の前でしばらく悩むこともある。
音楽に関しても、小説と同じく自分基準のカテゴライズがなされていて
やはり小説同様コップが存在する。
だから、空になりかけているコップに属する音楽を補充すべく選ぶことになる。

それでも、なんとなくこれじゃなくて、こんな感じなんだけどちょっと違って・・・。
などとなかなか決まらないこともある。
1枚選んでかけてみたらやっぱりちょっと違う、と選び直すこともある。
ふいに手に取った1枚が、自分が予期しなかった感じで
気持ちにピタッとくることもある。

朝 手に取ったCDがその日1日の私の気分に与える影響は結構大きい。



朝の支度がいろいろ整う頃、ポットに湯を沸かして珈琲を淹れる。
お湯が沸く前から、
「今朝は深い感じがいいな」と思っている日もあれば、
「すごく軽い珈琲もいいけど中深煎りくらいの感じもいいな」と、
なかなか決まらない日もある。

あれこれ迷い始めると決められなくなる。

小説や音楽が住まうコップのようなもの、珈琲用はない・・・と思う。。
私にとって珈琲は、
私の中に足りなくなってきている何かを補うものではなく、
私が今日を楽しく過ごすための頼りになる味方、なのだと思う。


ネルを温めながら窓の外を眺めたり、
窓から差す光を眺めたり、
カップを温めたり・・・。
そうこうするうちに鼻の奥の方に浮かんできた珈琲のイメージを手掛かりに豆を決める。

ミルの音、珈琲の香り、ポットにお湯を移す音、湯気。
ネルの中で膨らんでいく珈琲、立ち上がる甘い香り。
イメージした珈琲にゆっくりゆっくり出会っていく時間。

私の朝の1杯はだいたいこんなふうに私のところにやてくる。


毎朝寸分の狂いもなく心にピタッとくる珈琲とはいかないけれど、
概ねその日1日を元気に過ごさせてくれる1杯になる。




前の夜読んだ小説の何かをうっすらと纏い、
朝いちばんに聴いた音楽のエッセンスを原動力にし、
朝の珈琲を心の支えに1日を過ごしている。・・・らしい。











2017年8月29日火曜日

8月29日

庭のインゲンもミニトマトもししとうも
食べきれないくらい実をつけているけれど、
夏はもう終わりみたい。

家の西側の山桜とスモークツリーとドウダンツツジ、
気の早い葉がそれぞれ2枚づつほど紅葉している。
さすがにフライングすぎるけれど。

バジルも大葉もうっかりすると穂ができるから
こまめに摘むのだけれど、やはり葉は硬くなってきている。

いろいろなことがギュッと詰まった夏は過ぎ、
そう構えるからかそもそも詰め込みすぎなのか
秋風が吹く頃ふっと疲れが出てきたりする。

疲れたなと思った時、何をするか。

まず掃除。
なんとなく杜撰だった掃除を気がすむまでやる。
それから料理。
その季節の野菜で使ったいつも作る料理でまだ作っていないもの、
仕込みに手間と時間がかかるもの、
やたらたくさん刻むもの、などを思いつくまま作る。
そして読書。
読みたかった本、気になっていた作家の作品、
ふと思い出してもう一度読みたくなったものなどを
とにかく読む。

そうしているうちにじわじわっと満たされてきて
すくっと立てるようになる。

多分私は自分が自分であることを十分に体感できないと
疲弊してくるのだと思う。

必要に迫られてFacebookページなるものを始めたことも
自分と他者の境界線が曖昧に感じられ、
疲弊の一因になったのかもしれない。


単純に、ひとりが好きなのだと思う。

ひとりが好きな私が扉を開けてゴーシュをやっているのは
なんとも不思議な現象で、もしかすると何かの修行なのかもと
思うこともある。
ただ、ふらっとひとりで来た人が、居心地よく感じ、満たされた気分に
なるようなカフェが作れたらいいなと思う。
そういう場所を作りたいんだろうな、たぶん。

夕方、1冊読み終えて、珈琲を淹れた。
今日届いたばかりのオーガニックの中深煎りのブレンド。
コロンビアがベースのブレンドで、十分どっしりした飲み心地と
意外にさっぱりしたあと口。
読み終えた小説は私の感覚にはあまり合わない作品で、
それは私の感度が悪いのか、作者の筆力が足りないのか
わからないけれど、ちょっと消化不良。
そのモヤモヤな感じが今日の天気と今日の私の気分に微妙に合っていて
消化不良の割に総じて満足。
そして、この珈琲が全てを丸く収めてくれた。
カップに残った珈琲の香りが甘い。


2017年8月16日水曜日

8月16日



セイタカアワダチソウの花が咲き始めて
ますます秋の気配が入り込んでくる。

木々の緑に夏に向かう時のような青々しさとは違う
少しトーンを落とした色がかかりはじめた。

昨日はこの家を建てたときにお世話になった材木屋さんが
ぶらりと寄ってくれた。

調度、建築を始めた頃の記録を読み返していたところだったので
彼らとの会話はタイムリーでとても楽しかった。

今日は、留学していたときに一緒だった友人が
会いに来てくれる。
17歳の1年間、同じエリアに留学して同じ学校に通っていた友人。
会うのは13年ぶり。

来訪の連絡があってから、
その頃好きでよく弾いていたピアノ曲をふと思い出して弾いてみたり、
その頃愛読していた本を再読してみたり。



急ぎ足で過ぎて行こうとしている夏、
深煎りの珈琲をゆっくり飲もう。











2017年8月9日水曜日

8月9日

過ごしやすい夏です。

暑さのピークは7月の上旬だったのか・・・。


庭のワレモコウが花をつけました。
カエルの声がいつの間にか聞こえなくなり、
蝉が頑張る季節になりました。

冷たい珈琲より温かい珈琲が飲みたくなる気候です。
朝の珈琲を深煎りの珈琲にしようか浅煎りの珈琲にしようか
なんとなく悩むような気候です。
そして、個人的には不思議なことに
淹れたい珈琲と飲みたい珈琲に
微妙なズレがある今日この頃です。

ゆっくり蒸らして、じっくり深煎りの珈琲を淹れる楽しさを
味わいたいけれど、飲むのは軽い珈琲がいいなと思ったり、
華やかな香りを楽しみながらテンポよく淹れたいけど、
コクと甘みのある深煎りをじっくり味わいたい、と思ったり。

飲みたいなと思う珈琲を、自分が求めている味にピタッと淹れられた朝は
とても気分が良いです。
私の珈琲に関するストライクゾーンは非常に狭いので
実は毎朝真剣勝負!なのです。



夜更かしが好きです。

月と星が空を受け持つ時間になると、
少しほっとして自由になったような気がします。

チェロを出してきて、チューニングし、音を出します。
体のどこかに余計な力が入っていると
余計な力が入った音になります。
力を入れるのは比較的簡単で、力を抜くのはなかなか難しい。
チェロを弾くことで自分を解放しようとしているのだと思います。

今夜は曇り空です。
星も月も見えません。

少し湿度があり空気が重たいです。

もう少し夜が更けてきたらチェロを弾こう。





2017年8月2日水曜日

8月2日

適度に雨が降り、適度に気温が上がり、
庭の雑草がぐんぐん大きくなりました。

庭は歩きにくくなり、野菜やベリーの収穫も一苦労となってしまったので
草を刈りました。


 植えてあるものと生えてきたもの、
ハーブや野菜の育つべきところと私が歩く場所、の峻別がつくと
庭が立体的に見えます。

誰が見てもそう見えるのかはわかりませんが、
少なくともこの庭を愛する私の目には
たくさんの生き物たちが仲良く共存している
秩序のある庭に見えてきました。



庭が落ち着いたところで、
私の頭の中のごちゃごちゃになりかけていた引き出しも
少し整理してみました。


答えが出ないこともたくさんありますが、
なんとなく感じていたこと思っていたことを
きちんと意識してみる作業は有益でした。


夕方、注文してあった珈琲が届いたので淹れてみました。
オーガニックのブラジル。

豆を挽くと香ばしい香りが広がります。
ナッティな風味とあと口に残るかすかな酸味と爽やかな甘みが
美味しい珈琲です。

2017年7月26日水曜日

 先週末はgla_gla fesでした。
天気予報がどんなに「晴れるのは無理でしょう!」と言っていても、
必ず好天気に恵まれることになっているらしい、gla_gla fes。
今年も、爽やかな夏空が広がりました。

たくさんの人たちが会場の月浦神社に集まり、
賑やかな1日でした。

大勢の人が集まるところに身を置くのが苦手な私は
この日の賑わいに圧倒されながらも、
ゴーシュのブースのすぐ脇に鎮座している狛犬を心の支えに
1日楽しく出店させてもらいました。




それでもやはり、慣れないことをすると
いつもよりたくさんエネルギーを使うらしく、
翌日はほぼ1日思考停止状態のままフェスの後の片付けをしていました。
ちゃんと片付いていたのだけれど、途中の記憶が曖昧・・・。

他の人と接する時間、頻度、人数などのキャパシティには
個人差があるように思います。
私は極めてそのキャパが小さいのではないか、
と、思うんだけど。

片付けをしながら、一人の時間を積み上げながら、
自分の中に自分が戻ってくる感じを実感し、
ほっと一息ついて空を見上げたら、ウロコ雲。
祭りと一緒に夏が終わってしまったのかと思ってしまうような
秋の空が広がっていました。









暮れていく湖を眺めながら、祭りの中に自分がいた時間を思い出し、
今ひとりでいるこの時間を味わう。

たまにはそういう刺激も必要なんだろうと思います。

来年もきっと良いお天気で大賑わいのgla fesの片隅で珈琲売ります。




明日からは、いつも通りのゴーシュが始まります。






今日は冷たい玄米珈琲。
玄米を珈琲のように焙煎した飲み物です。
ちょっと疲れている時は、この優しい味が体にしみます。