2018年2月7日水曜日

2月7日

1月後半から2月初め、寒い日が続いた。
ここ洞爺湖町月浦で暮らす私の感覚で、「寒い」というのは
最低気温が−10℃のあたり。
最高気温が−5℃くらいまでしか上がらない。
これに加えて風など吹いてくれるとビジュアル的にも
寒さが強調された感じになる。

安定して寒い日が続くと
薪ストーブの火がしっかり保たれ
家の中は気持ちよいあたたかさとなり
窓から見える寒そうな景色とのコントラストも手伝って
しあわせな冬のできあがり、に思える。

日中の気温が0℃に近くなって良い天気になったりすると
妙に暖かく感じる。
実際積もっている雪は少しずつ溶けて
みるみるうちに「やる気のない冬景色」になってしまう。
冬好きな私としては、冬という季節には、
安定的に寒さを保ち、コンスタントに雪を降らせるように心掛けてもらいたい、
と常々思っている。


雪は音を消す。
雪を踏みしめて歩く朝の散歩は自分の足音を聞く時間。

薪を燃やして暖をとり、森閑とした白い世界の中で
私が私の足で歩いていることを体感する。


そんな北海道の月浦の冬の時間を大切に思う。


というわけで、日が暮れかかり、蒼い世界が始まろうとする空を見上げ
そろそろ、雪降らせてもらえないかなあ・・・と思う。

薪ストーブの横で
深煎りの珈琲を片手に本を読む。
外は雪。

そんな冬がいいなと思うのです。

2018年1月24日水曜日

1月24日

雨と風のお正月から始まった2018年、
雪が少ないまま、2度目の雨が降ったりして
どことなくやる気のない雪景色が不満だった先週末。

週明けから雪が降り、昨日はかなり本気の吹雪となった。
気温も下がって来て、家中のどの窓から外を見ても
「正しい月浦の1月」。

風もかなり強い。
強風に引かれ煙突の中を空気が動く音、八方を吹き廻す風の唸り。

こんな日は私も本気でカレーを作ろう、とふと思った。

スパイスをゆっくりオイルで炒めながら香りを出す。
タマネギをたくさん刻んで、飴色になるまで炒める。

風の音が強くなるほどに鍋の中のカレーに真剣に向き合う。
最後はストーブの上でしばらく煮込んでカレー完成。


夕方、訪ねて来た近所に住む友人が扉を開けるなり
「どうした!いつもと全然違う匂いがしてる、スパイシー!」
と言ったくらいだから、かなり異質なゴーシュが出来上がっていたのだと思われる。

一夜明け、昨日と打って変わって穏やかな朝。
明日はカフェオープンしたいので、まずは除雪。
続けてケーキの仕込み。
甘くて美味しそうな香りでスパイシーさを消さなければ・・・。

夕方、一旦外に出て、家に戻って確認。
ちょっとスパイス、勝ってるかも。


というわけで、急遽、チリビーンズ作りました。
明日のゴーシュはチリビーンズ、メニューにあります。
お試しください。





2017年12月18日月曜日

冬、私の朝はストーブに火を起こす事から始まる。
前の晩にくべた薪が残っていれば火種になって簡単に火がつく。
すっかり燃えてしまっていると少し時間がかかる事もある。
薪ストーブのある暮らしを始めて10回目の冬なので
火を起こすのも調節するのもだいぶ上手くなった。

ストーブの上のポットにお湯が沸くまでに身支度を整える。
朝の珈琲を淹れる。

ゴーシュを開ける日は、ケーキの準備をしたり、
水出し珈琲を仕掛けたり、店を整えたり、
前の晩雪が降っていれば駐車場の除雪をしたりして午前中が終わり、
午後から夕方までカフェの仕事。

珈琲を飲みながら本を読んだり、何かをしたためたり、
外の景色をぼんやり眺めたり、と
思い思い過ごす人たちの様子を感じながら、
ネルを温め、コーヒーを淹れる仕事。

暗くなる頃店を閉め、ネルを煮沸し、店内を掃除し、
翌日のためのケーキを焼く。

晩御飯を作って食べ、片付けが全て終わると、
もうひとつの私の時間が始まる。

チェロの調弦をして、ボーイングの練習をし、スケールを弾いてから
エチュードをさらい、自分が弾きたい曲を弾く。
ストーブの中にちゃんと薪が残っているかどうか、
薪がはぜる音を時々気にしながら
自分が出したい音を探し、表現したい音楽を探す。

音楽の時間が終わると、クールダウンを兼ねてストレッチしたり
ヨガをしたり。
ゆっくり呼吸をしながら身体をほぐす。

だいたいここまでくると夜もだいぶ更けていて
翌日のことを思うと早く休んだ方がいいだろうという時間なっているのだけれど、
夜を愛する私はこの魅力的な時間をなかなかおしまいにできない。

少しだけお酒を用意して、読書の時間に移る。
今は、カズオイシグロの「日の名残り」を英語で読んでいる。
辞書を引きながら、少しづつ読み進める。
これが面白くて楽しくて、簡単には本を閉じることができない。

こうして夜は更けていき、
月浦で目を覚ましているのは、
私の他には雪原の上を4つ足で軽々移動できる動物たちばかりかもしれない・・・
という頃になって
後ろ髪引かれつつも、大きめの薪をストーブに入れて灯りを消す。

朝起きてから日が暮れるまでの時間と
日が暮れてから部屋の灯りを消すまでの時間、
私にとって同じくらい大切で同じくらい楽しい。

1日が24時間というのはちょっと短すぎる。


2017年11月8日水曜日

峠に雪が降ったり、羊蹄が冠雪したり、月浦も氷点下になったり…。
今年も冬の到来を感じる季節となり、庭の手仕舞いを始めました。


ゴーシュの庭はカフェで使うハーブやベリー類、
私が食べる野菜や料理に使うハーブ、香りが好きだから育てているハーブ、
などが雑草と一緒に生息しています。

その年その年の気候的条件に加え、どの時期にどれくらい手が入れられたか、
そして、植えられた場所とその植物の相性などの様々な要素が絡んで、
目に見える部分でのその年の収穫物の量や質に影響を与えます。

たくさん収穫できたらもちろん嬉しいのですが、
イマイチ振るわなかったものにはそれぞれの理由があるわけで、
その理由を含めてそれが今年の収穫なんだなと思います。


ハーブの種採りをしたり、畝に雑草のマルチをかけたりしながら
庭に住まう植物たちひとつひとつに挨拶するように庭をゆっくり歩くと、
ひと夏の庭のそれぞれの物語が聞こえてくるようです。

雪解けのタイミング、その後の春の暖かくなる感じ、虫の発生の仕方、
雨の量、雑草の種類と量、夏の暑さの感じ、残暑、秋の気温の下がり方、
台風の影響、などなどをそれぞれがどう味わってきたか。

収穫したものの質と量の良し悪しではなく、今年のこの庭の出来事を
まるまる収穫させてもらっているような気持ちになり、
そしてそれに重ねるように自分自身の春から秋までの間の出来事も
つらつらと思い出されてきます。


今年収穫した庭と私の物語を冬の間にゆっくり味わって、
次の春に向けての新しく蒔く種の準備をしたいと思います。


深まる秋、すぐそこに来ている冬、季節の移り変わりを感じながら
そんなことを思いました。






2017年10月4日水曜日

無題

夜、眠る前のひと時必ず小説を読む。

学生の頃は同じ作家の小説を何冊も続けて読むことができたけれど、
今は1冊読んだらお腹いっぱい。
それが好きな作家だとしてもしばらくは違うテイストの小説を
あれこれ読んでぐるっと戻ってきて2冊目を手に取る。

自分の中にいくつも大きさや形の違うコップがあって
空になりそうになると激しい空腹感というか欠乏感というか
とにかく強く必要性を感じてコップを満たそうとする。

そのコップは1作家1コップではなく、勝手に私がジャンル分けしている。
多分誰とも共有できないであろう私だけの基準によって、
大胆にカテゴライズしてる。

初めて読んでみる作家の作品を手に取るときは
いろいろなリスクを考えて、現時点で読めるコンディションにあるかを
判断してから読み始める。

最近新しい出会いに対してかなり臆病。

小説は数日かけて読むことが多いので、読んでいるその数日間は
少なからずその小説の感じをどこかにまとってしまう。



朝起きて、朝の支度をしながらBGMをかける。
すぐに聴きたいCDを思いつくこともあれば、
CDの棚の前でしばらく悩むこともある。
音楽に関しても、小説と同じく自分基準のカテゴライズがなされていて
やはり小説同様コップが存在する。
だから、空になりかけているコップに属する音楽を補充すべく選ぶことになる。

それでも、なんとなくこれじゃなくて、こんな感じなんだけどちょっと違って・・・。
などとなかなか決まらないこともある。
1枚選んでかけてみたらやっぱりちょっと違う、と選び直すこともある。
ふいに手に取った1枚が、自分が予期しなかった感じで
気持ちにピタッとくることもある。

朝 手に取ったCDがその日1日の私の気分に与える影響は結構大きい。



朝の支度がいろいろ整う頃、ポットに湯を沸かして珈琲を淹れる。
お湯が沸く前から、
「今朝は深い感じがいいな」と思っている日もあれば、
「すごく軽い珈琲もいいけど中深煎りくらいの感じもいいな」と、
なかなか決まらない日もある。

あれこれ迷い始めると決められなくなる。

小説や音楽が住まうコップのようなもの、珈琲用はない・・・と思う。。
私にとって珈琲は、
私の中に足りなくなってきている何かを補うものではなく、
私が今日を楽しく過ごすための頼りになる味方、なのだと思う。


ネルを温めながら窓の外を眺めたり、
窓から差す光を眺めたり、
カップを温めたり・・・。
そうこうするうちに鼻の奥の方に浮かんできた珈琲のイメージを手掛かりに豆を決める。

ミルの音、珈琲の香り、ポットにお湯を移す音、湯気。
ネルの中で膨らんでいく珈琲、立ち上がる甘い香り。
イメージした珈琲にゆっくりゆっくり出会っていく時間。

私の朝の1杯はだいたいこんなふうに私のところにやてくる。


毎朝寸分の狂いもなく心にピタッとくる珈琲とはいかないけれど、
概ねその日1日を元気に過ごさせてくれる1杯になる。




前の夜読んだ小説の何かをうっすらと纏い、
朝いちばんに聴いた音楽のエッセンスを原動力にし、
朝の珈琲を心の支えに1日を過ごしている。・・・らしい。











2017年8月29日火曜日

8月29日

庭のインゲンもミニトマトもししとうも
食べきれないくらい実をつけているけれど、
夏はもう終わりみたい。

家の西側の山桜とスモークツリーとドウダンツツジ、
気の早い葉がそれぞれ2枚づつほど紅葉している。
さすがにフライングすぎるけれど。

バジルも大葉もうっかりすると穂ができるから
こまめに摘むのだけれど、やはり葉は硬くなってきている。

いろいろなことがギュッと詰まった夏は過ぎ、
そう構えるからかそもそも詰め込みすぎなのか
秋風が吹く頃ふっと疲れが出てきたりする。

疲れたなと思った時、何をするか。

まず掃除。
なんとなく杜撰だった掃除を気がすむまでやる。
それから料理。
その季節の野菜で使ったいつも作る料理でまだ作っていないもの、
仕込みに手間と時間がかかるもの、
やたらたくさん刻むもの、などを思いつくまま作る。
そして読書。
読みたかった本、気になっていた作家の作品、
ふと思い出してもう一度読みたくなったものなどを
とにかく読む。

そうしているうちにじわじわっと満たされてきて
すくっと立てるようになる。

多分私は自分が自分であることを十分に体感できないと
疲弊してくるのだと思う。

必要に迫られてFacebookページなるものを始めたことも
自分と他者の境界線が曖昧に感じられ、
疲弊の一因になったのかもしれない。


単純に、ひとりが好きなのだと思う。

ひとりが好きな私が扉を開けてゴーシュをやっているのは
なんとも不思議な現象で、もしかすると何かの修行なのかもと
思うこともある。
ただ、ふらっとひとりで来た人が、居心地よく感じ、満たされた気分に
なるようなカフェが作れたらいいなと思う。
そういう場所を作りたいんだろうな、たぶん。

夕方、1冊読み終えて、珈琲を淹れた。
今日届いたばかりのオーガニックの中深煎りのブレンド。
コロンビアがベースのブレンドで、十分どっしりした飲み心地と
意外にさっぱりしたあと口。
読み終えた小説は私の感覚にはあまり合わない作品で、
それは私の感度が悪いのか、作者の筆力が足りないのか
わからないけれど、ちょっと消化不良。
そのモヤモヤな感じが今日の天気と今日の私の気分に微妙に合っていて
消化不良の割に総じて満足。
そして、この珈琲が全てを丸く収めてくれた。
カップに残った珈琲の香りが甘い。


2017年8月16日水曜日

8月16日



セイタカアワダチソウの花が咲き始めて
ますます秋の気配が入り込んでくる。

木々の緑に夏に向かう時のような青々しさとは違う
少しトーンを落とした色がかかりはじめた。

昨日はこの家を建てたときにお世話になった材木屋さんが
ぶらりと寄ってくれた。

調度、建築を始めた頃の記録を読み返していたところだったので
彼らとの会話はタイムリーでとても楽しかった。

今日は、留学していたときに一緒だった友人が
会いに来てくれる。
17歳の1年間、同じエリアに留学して同じ学校に通っていた友人。
会うのは13年ぶり。

来訪の連絡があってから、
その頃好きでよく弾いていたピアノ曲をふと思い出して弾いてみたり、
その頃愛読していた本を再読してみたり。



急ぎ足で過ぎて行こうとしている夏、
深煎りの珈琲をゆっくり飲もう。